2019年。今年で僕がMBA留学から帰国して丁度10年になります。いい機会なので、この10年を振り返り、MBA留学とMBA取得の価値について考えてみました。
この記事の目次
MBAとは?資格の一種?
そもそもMBAとは何か? 未だに資格の一種か何かと勘違いしている人がいますが、MBAとは
Master of Business Administration
の略で、日本語に訳すると経営学修士という言葉になります。要するに資格などではなく、大学院でビジネスを学びました、という学位のことです。
そもそもなぜ僕がMBAを目指そうと思ったのか?
こともあろうがゼミ試に全滅
もともと僕はMBAについては言葉すら聞いたことがなく、国内のMARCHの一角に通っていました。学部は政治経済学部です。ところが、大学2年生から3年生に進級するときに事件は起きます。
こともあろうが、ゼミ試に全滅してしまい、ゼミ無しっ子になってしまったのです。私大文系でゼミに所属できないことは大学生活の死を意味します。
ご縁があって大前研一氏のビジネスブレークスルーでバイトすることに
仕方がないので、何かゼミに変わる別の機会がないか探したいたところ、知り合いの社会人が「大前研一の政策学校・一新塾」なるものを紹介してくれました。一新塾は経営コンサルタントの大前研一氏が立ち上げた政治家や社会起業家、市民活動家を育成するための私塾です。以下は2019年現在のホームページ。
この一新塾に、当時の僕としては大金を支払って8期生として入塾しました。大学三年生の頃のことです。
そして、ゼミの代わりに毎週、東京の市ヶ谷にあるOhmae@workビルに通うことになりました。これです。懐かしい。
一新塾は今まで僕が会った事もないような講師や塾生との出会いが満載で、非常に刺激的でした。特に印象深かったのは、桜井幸子さん、枝野幸生議員、そして大前研一氏の講演で、世の中にこんなに賢い人たちがいるのかと驚愕したのをよく覚えています。
僕は一新塾8期生としての講座が全て終わると、そのままインターンとして塾のお手伝いをすることになりました。毎週簡単なお手伝いをする代わりに、9期生の講座に無料で参加できるという魅力的なものでした。
ある日、僕が事務所で作業をしていると、上の階で働いているWさんという人が降りて来ました。Wさんは同じく大前研一氏の会社である「ビジネスブレークスルー」の社員で、アルバイトを探しているとのことでした。
丁度僕は別のアルバイトを探していた時だったので、手を上げてトントン拍子で採用が決まりました。
ビジネスブレークスルーでのバイトは、ボンド大学MBAコースのサポート業務
このビジネスブレークスルーでのアルバイトは、ボンド大学というオーストラリアの大学の通信MBAコースのサポート業務でした。そして、僕はこのアルバイトを通して、MBAなるものを初めて知ることとなりました。
大学を卒業してビジネスブレークスルーのアルバイトを辞める頃には
「いつかは自分もMBAを取得しよう」
そう決意していました。
実際にMBA留学できたのはそれから4年後
GMATに苦しみつつも、何とか合格
僕が実際にMBA留学を実現させたのは、大学卒業から四年後のことです。受験に至るプロセスの話は長くなるので詳しくは書きませんが、とにかく苦労しました。
何が大変だったかというと、GMATのクリアです。日本人の場合、GMATはMathのセクションで満点近いスコアを出し、Verbalで食い下がることである程度のスコアを出す、というのが必勝パターンになります。
しかし、僕は私大文系出身で、数学がとにかく苦手でした。GMATの数学の範囲は数1Aまでとなっており、高校一年生レベルです。しかし、僕は数1Aの内容が理解できなかったため、中学1年生の数学から復習するという有様でした。
それでも何とかGMATの目標スコアをクリアし、希望の大学に合格できたのは2007年のこと。
進学先は、全米30位内の中堅大学のMBA
進学したのは全米30以内の中堅私立大学のMBAプログラムです。ここ1本しか狙っていませんでした。
なぜかというと、奨学金のお陰で、授業料が免除されたからです。授業料どころか、教科書代も保険(アメリカではめちゃくちゃ高いです)も無料。生活費は、半額だけ返せば良いという破格のローンを組ませてもらえるという、とにかく恵まれたプログラムでした。
MBA留学して良かったこと
中堅大学でしたが、MBA留学して良かったことを5つ紹介したいと思います。
MBA留学して良かったことその1:語学力がつく
まずは語学力です。僕のように日本でしか暮らしたことがない人間にとって、海外留学して生の英語に触れる機会が会ったことは本当に貴重な経験でした。
スピーキングにはとにかく苦労しましたが、結局場数を踏むしかないということで、下手なりに英語でコミュニケーションを取れるようになったのは本当にプラスでした。
MBA留学して良かったことその2:多様性に触れることができる
僕の大学では留学生比率がそれほど高くはありませんでしたが、それでも世界の様々な国から来た他の留学生たちとの交流はとても刺激的でした。
まず、僕の一学年上のメンターはインド人の大変賢い女性で、在学中に親友になったのは韓国人の男性でした。また南米から来た留学生たちは大変陽気で、誰もが好きになりました。
MBA留学して良かったことその3:普段は絶対に会えないようなエグゼクティブたちと生の言葉が聞ける
MBAプログラムでは、毎月ゲストスピーカーを呼んで講演会を学生向けに開いていましたが、とにかくその顔ぶれが凄い。思い出せる範囲で僕が実際に話を聞いた人たちの肩書きを挙げてみると、次のような人たちです。
- アメリカンエクスプレス CFO
- ビックフォーの一角、デロイトのCEO
- DELLの元CEO
- 世界最大ホテルチェーンのオーナー兼CEO
- アメリカ合衆国副大統領
- 元ベインキャピタル マネージングディレクター
- 7つの習慣著者、故スティーブン・R・コヴィー博士
MBA留学して良かったことその4:エンターテイメント性抜群のMBAのクラス
MBAのクラスですが、とにかくエンターテイメント性が抜群で、非常に驚きました。どのクラスも、学んでいる内容がためになるだけではなく、練りに練られていて、信じられないくらい楽しいのです。まるでテレビ番組を見ているような気分でした。
僕はこの理由の一つは、僕の大学で実施していた教授の評価制度に一因があるのではないかと思う。各セメスターの終了後に生徒全員にアンケートがメールで送られて来たのですが、そのアンケートというのは、生徒が先生の評価をするためのものでした。日本では絶対にあり得ません。
結果、研究だけやっていれば良いということにはならず、生徒たちからの評価も高い教授たちだけが学校に残ることになります。
MBA留学して良かったことその5:バケーションの期間が長い
MBA留学では、クラスがある時期はめちゃくちゃ忙しいのですが、Thanksgivingやクリスマス休暇、夏休みなど社会人時代とは比べものにならない休暇の期間があります。
僕は結婚して子供も連れての留学でしたが、こうした休暇の機会を使って、とにかく周辺を貧乏旅行しました。特に、アメリカにある様々な国立公園のスケールには驚愕させられました。
MBA留学して良かったことその6:新たな就職の機会が広がる
これは出口の話ですが、MBA留学によって、MBA取得が募集要項に入っている求人に応募する資格が得られます。これは日系企業ではあまり関係ありませんが、外資系企業の場合に募集要項に入っていることがあります。
まとめ ー MBA取る意味あるの?
MBAは良くも悪くも、扉を開けるための鍵
結論から言うと、人による、という回答になります。僕が非常に好きな言葉で、宗教家のゴードン・B・ヒンクレーの言葉あります。
教育とは機会という扉を開ける鍵である
MBAは良くも悪くも、扉を開けるための鍵でしかありません。MBAがなければ開かない扉は確かに存在します。それは事実です。
しかし、人生を見てみると、人生は無数の扉に溢れている訳で、MBAがなくても開く扉はたくさんあります。
また、MBAがなければ開かない扉の先にあるものが、自分が求めているものかどうかも、よく吟味する必要があるかもしれません。アメリカでは、MBAに行くと年収が跳ね上がると言われていますが、その代償は高いプレッシャーとストレスだったりします。
MBA留学のハードルが高いなら、オンラインという選択肢もある
MBA取得から10年ですが、MBA留学によって得たもの、失ったものを考えると、僕は後悔はしていません。もしもう一度人生をやり直せるなら、MBAを取得する選択をするのではないかと思います。
ただ、やはりMBA留学は経済的な負荷がかなりあります。僕は奨学金のおかげで随分優遇されたと思いますが、2年間働かなかった機会損失も含めると、2千万円くらい失っています。汗
そんな場合はオンラインでMBAを取得する、という選択肢もあります。オンラインならば、仕事をやめることなく、自宅でMBAを取得することができます。僕の友人も何人もオンラインでMBAを取得しています。
オンラインMBAも色々なスクールがありますが、一つの基準は、AACSB国際認証を取得しているかどうかです。このAACSB国際認証はビジネススクールの品質の国際的なお墨付きを与える団体で、海外の有名MBAは全てAACSB国際認証を受けています。
マサチューセッツ州立大学MBAは、最近僕の職場の同僚が取得したオンラインMBAで、もちろんAACSB国際認証を受けています。興味のある方は、ぜひ資料を取り寄せてみてください。僕の同僚は仕事をしながら、3年間かけて取得しました。